シャワーを浴びて、パックして、スクラブして、いい香りのボディーローションで保湿して。メイクもいつもより丁寧に、でも自然に見えるように。
洋服だけじゃなく下着まで恥ずかしくないものを身につけて。バッグの中もお財布の中も整頓して、汚れていない手入れされた靴を履いて。
そうして玄関を出ると、何だか自分がつるつるキラキラした物体になれたような気分になって、心が晴れ渡ります。
夫とお出かけするときも、もちろん普段よりお洒落して出かけはするのですが、パックしたりスクラブしたり、綺麗な下着を身につけたりまではしません。
昔はそういうこともしていたのですが、そうやって身綺麗にしていても何にも起こらないし指一本触れられないので、努力するのをやめてしまいました。自分のためにすればよかったのに、と今は思います。
自分の体を愛すること、丁寧に扱うこと
私の生活に「デートの日」が加わったことで、私の気持ちはものすごく回復しましたし、私の身体は定期的にメンテナンスされるようになりました。
夫に愛してもらえないこの身体が大嫌いで、それ故に今まではぞんざいな扱いをしていました。でも、彼がこの身体を綺麗だと言ってくれたから、もっと丁寧に扱おうと思えるようになったのだと思います。
スキンケアやメイク、ファッションにも関心が高くなりました。そしてそうすることで少しずつ普段の身なりもマシになってきました。
確実に良い影響が出ています。彼には感謝してもしきれません。彼との関係はセックスレスの果ての浮気でしかありませんが、友達に愚痴を聞いてもらうより、カウンセリングを受けるより、心療内科で処方された薬を飲むより、夫に期待し続けるより、何よりも癒しになっています。
コンプレックスを愛してくれる人は、いる
整った顔立ちじゃなくても、太っていても、緩くても、臭くても、全てを受け入れてくれる。会っている時は、大切なものを扱うように丁寧に愛してくれる。そんな彼とのセックスで、私は本当に救われました。
私は綺麗にならなくても、痩せなくても、そのままでいいんだ。そのままでも十分愛される資格がある。そう思えるようになりました。もう、(抱いてと言っても困らせてしまうだけの)夫に抱いて欲しいと思わなくなったし、死にたいと思うこともほとんどありません。
世の中には貧乳フェチ、高身長フェチ、ブス専、デブ専、地味好き、熟女好き、緩い人好き、スソワキガ好きなど多種多様な好みとフェチを持った人がいます。彼ら・彼女らが自分の救いになることもある、と私は身を以て理解しました。近しい人に自分のコンプレックス部分を賞賛され続けていると、悩んでいるのがどうでもよく思えてきますし、何ならコンプレックス部分さえ「悪くないかな?」なんて思えてくるんです。
私も最初、「ぽっちゃりした人が好き」と言って近寄って来る人にあまりいい印象はありませんでした。私個人ではなく、「ぽっちゃりした人」というラベルに近寄ってきているように感じたからです。
でも「ぽっちゃりした人」に惹かれた結果私という個人にぶち当たった、という出会いでも別にいいんじゃないの、と最近は思います。性格に惹かれたとか笑顔に惹かれたとかそういう理由ならよくて、巨乳だからとか美脚だからだという理由だとなんだかゲスい印象があるのはどうしてなんでしょう。どこから入ったって、それなりの期間付き合いが続くなら内面・外見共にある程度お互いが好ましく思えているということだと思うので、何をきっかけに出会ってもいいんじゃないでしょうか。
今後は彼に会わなくても自分を保っていられるようになることが課題です。「彼が愛してくれたから、私はこのままでいいと思える」という状態から、「誰も愛してくれなくとも、私は私自身を愛している」と言えるようになりたいです。
※2017年6月20日:少し読みにくいかな?と思ったところを書き直しました。

コメント
はじめまして。ずっと拝見しておりましたが、今回はじめてコメントします。
わたしも夫側のレスに悩む妻です。
今回の記事を読んで、レスというのは、ここまで人間の尊厳を奪う行為なのだと、改めて共感しました。涙が出ました。
わたしも誘っては断られを繰り返し、自分に対する自信をすっかり失いました。
今回の記事は、とても客観的に拒否される側の心情を代弁してくださいました。
どんみ様
はじめまして。ずっと見てくださっているとのこと、ありがとうございます。
拒否されると自分の全てを否定されたような気持ちになりますよね。相手はそんなつもりではないと頭ではわかっているのですが……。